金剛寺報 第5号

2014-07-15

火性三昧特集

修行について ─実修実証─

金剛寺 赤倉道場のお不動さま

よく修行について質問されます。「何年修行したのですか」とか「修行大変だったでしょう」と聞かれます。
私の場合、京都のお寺で師匠に学び、また僧侶の養成学校で一年間修行を積んで僧侶の資格を得ました。京都で十年間いろんな方に出会って多くを学び今の基礎が出来た気がします。
ただ、私が感じたのはその十年間はとても幸せな日々だという事でした。自分のお寺に帰ってきてからの方がはるかに大変です。学ぶという行に専念した十年と、その経験を生かすという、帰ってからの十年では時間の流れが全く違いました。
つまり、学んだことをどう生かしていくかという事が大事であって、ただ辛い行をたくさんしたからといってそれが救いを求めている人のためにならなければ、自分の中での知識の積み重ねでしかならないと思います。
「実修実証」 実際に学んで実際に証明する。
これが修行の本質なのではないかなと感じますし、僧侶に限らずどんなことでも共通すると思います。

火性三昧(かしょうざんまい)

一般的に火生三昧といいますが津軽では火性となっております。清らかな火を焚き、一心に拝み、世の中の平和と自身の無病息災を祈願し、最後に参拝者自身が火を渡ります。
特に津軽の特徴として、修験者が松明〔たいまつ〕や鉄鍬〔てっか〕、熱釜〔かま〕の行を行い、自身が不動明王となって修し祈願します。
修験道は古くから口伝〔くでん〕という、口伝えを重んじ、文書などの資料があまりありません。津軽の修験も約四百年の歴史があるとされておりますが、それも口伝によって今に続けられてきております。ただ現在津軽でこの行を行なっているお寺は少なく、当寺を含め約六ヶ寺程です。

柴灯護摩

道場ではまずお経を唱える御法楽を行い、洒水〔しゃすい〕、大幣〔たいへい〕、大刀〔だいとう〕の儀式を行い、道場を清めます。そして読経の中、護摩導師が修法を始め、中央の護摩木が積まれヒバの葉で覆われた炉に火が灯されます。
祈願文を読み上げ、参拝された方々の添え護摩木を炉に投じ、次に皆さんのお手持ちの物を火に当てお加持します。
導師が修法を終えるとここから火性三昧が始まります。

明松[たいまつ]の行

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火性での松明を津軽では「明松」と書いてたいまつと言います。
炎で身をこがすこの行は、両端に火のついた口明松をくわえ、両手にも火のついた明松を持ち、しゃがんだ状態で前に進み、途中で袖の中に明松を通したりしながら道場を一周します。
自身が不動明王となって、道場を炎で清める浄化の作法と考えられます。

鉄鍬[てっか]の行

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炭で真っ赤に熱した鉄の鍬を、塩を紙で包んだ「懐紙」を用いて握り、左手で高々と持ち上げ道場を一巡します。火性の中でも最も危険な修法と言われております。
生と死が表裏一体となるこの行はまさに自身が不動明王となり火で火を克服し、大日如来へと即身成仏するという、擬死体験をあらわす作法と考えられます。

熱釜[かま]の行

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大釜に湯を煮えたぎらせ、笹の束で高々とその湯を散らしながら浴びて、次に笹の束を釜の中に敷いて座し、密教の印を結び三昧の境地に入り、終わると釜を高々と頭上に持ち上げながら本尊の前まで進みます。
熱釜も大日如来の世界に即身成仏して神仏一体となり、さらにそこから再生する「擬死再生」を表す作法と考えられます。

火渡りの行

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最後に参拝者自身の行として火渡りの行が行なわれます。
真っ赤に燃える炭の道をまず、火渡り導師が修法して渡った後に一般の方が、わらぞうりを履いて手に御幣を持ち渡ります。
明松、鉄鍬、熱釜の行が修験者が即身成仏する擬死再生の行とすれば、火渡りの行は一般の参拝者の方が即身成仏する擬死再生の行と考えられます。

参考文献 ─ 『鬼と修験のフォークロア』
内藤正敏 法政大学出版局 二〇〇七年
 
このように文章にすると難しくて伝わりません。山深い所で道も悪くご不便をおかけしますが、まずは実際にご自身の目で見て感じて頂くことをお勧め致します。

六月第三日曜日 午前十一時より 赤倉山霊場山開会 火性三昧
*岩木山ろく修行道場にて

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