4月, 2015年

百万遍。

2015-04-27

皆さま百万遍をご存じでしょうか。
春と秋の頃、町内をおばさま方が大きな数珠の珠を持って練り歩き村の境やお地蔵さまの前で「なむあみだぶつ」と唱えながら数珠廻しをするのがそれです。
この時期、私が住職を勤める黒石市にある地蔵院には各町内の地蔵講の方が数珠玉のご祈願にやってきます。

数珠の珠でひときわ大きな親玉があり、それをお寺にお参りに来てその年の干支の守り本尊さまの焼印を捺してもらいお加持をする、いわゆる位上げです。ひと団体約4名ほどでお参りに来られます。
1年にひとつ焼き印を捺し、それを何十年と続け、いっぱいになると親玉を新調します。いっぱいになった親玉は地蔵堂に奉られます。昔から続く津軽の風習です。

数珠玉

この親玉はお地蔵さまが持っている宝珠の形をしており、これはどんな願いも叶えてくれる有難い珠とされ、それを数珠につけて廻すことによって、村の厄を払い町内の安全を願うものであります。
津軽では弘前市の愛宕山橋雲寺さんと、黒石市の愛宕山地蔵院でこのご祈願を行っております。

正直とても勉強になります。その村によって様々な違いもありますし、後継者不足で存続に苦労する方々もおります。
そういった方たちとお話をする事で何か力になれないかという気持ちにもなります。お話をしてご祈祷をすると皆さんに本当に喜んで頂いて、こちらのほうが有難い気持ちになります。
ある講の方はお地蔵様に着せる着物を新調したとの事で、その着物もお加持しました。それがこちら・・

お地蔵さん着物

お地蔵さまを大切に守ってきた皆さんの熱を感じます。
お地蔵さまは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天のすべての世界にいる仏さまといわれ、六地蔵はその象徴です。
そして子供達を守ってくれる仏さまともいわれ、仏さまの中で一番身近な存在です。

私なりのことばで皆さんに言います。「皆さん、これは特定の宗教行事と捉えないで下さい。皆さんが村の代表として、村の安全と幸せを願う皆の行事です。様々な宗派はありますがそれぞれを組み合わせた津軽独特の風習、途絶えると次はありません。出来る事は何でも協力しますから、皆さんと一緒にがんばりましょう!」と。

普段数珠玉はお地蔵さまのお堂などに大切に保管されています。

地蔵堂

今日も地蔵講の皆さんに混じって私も数珠を廻してきました。
写真は一昨日のですが、どん!

百万遍

桜の花咲く下、いついつまでも続いて欲しい行事だと思います。
今日は飛び入りで子供さんも廻しました!今日の百万遍がこちら・・

飛び入り

その記憶が片隅にずっと残りますように。

地蔵堂リフォーム。

2015-04-27

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
桜も早いものでだいぶ散ってしまいました。寂しいですね。もう少しゆっくり観たかったです。

さて先日、仏師の小堀さんと一緒にお地蔵さんのお堂を作りました。
今までのはホームセンターから買ってきた雪囲いをそのまま使っていたので、小堀さんに相談してお堂風に直す事にしました。
まずは囲いを取り外しました。

囲い1

見ての通りボロボロです。
お地蔵さまはご覧の通り。

お地蔵さん

ここから小堀さんの腕が冴え渡ります。
あり合わせの木材を利用し、さらに屋根部分は今までの囲いを再利用です。
柱を立てて・・

柱建て

屋根を架けてさらに柱を補強して・・

補強

最後にすだれや幕、囲いなどを施して完成!

完成

以前とは見違える立派なお堂の完成です!
小堀さんは金剛寺に無くてはならない存在です。
本当にありがとうございました!!

皆さんも、お参りに来られた際はぜひお地蔵さまにお参り頂き、小堀さんの技をご覧下さい。

新聞に!

2015-04-23

さて、本日(4月23日)東奥日報夕刊に私が載っていると仏師の小堀さんから連絡がありました。
家では東奥日報をとっていないので直ぐに販売店へ行き手に入れました。
それがこちら。

新聞記事

多分、去年の赤倉の山開きの火性三昧の様子だと思います。
照れますね・・

今日も怒涛の1日でしたが、最後に甥っ子と妹を連れて猿賀公園に桜を観に行ってきました。

猿賀神社

猿賀公園

春本番ですね。
せっかくなので鯉にえさをあげました。

鯉

勢いが良すぎて少し怖かったです。

京都に行ってきました。

2015-04-23

ご無沙汰致しておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
私はバタバタとしておりました。お寺関係の行事等で先週・今週と京都に行ってきました。
普段京都に行っても自由な時間がまずなく、観光などほぼ出来ないのですが、今回は時間を作って清水寺に足を伸ばしてきました。他にもあるだろうとお思いでしょうが、清水寺です。10年振りくらいでしょうか。
ドン!

清水寺参道

驚いたのが、外国人観光客が9割以上いたことです。驚きました・・この数年で観光地も激変したようです。
着物を着た外国の方が自撮り棒を使ってキャーキャーいう姿に、時代の変化と価値観の柔軟さを身につけなければ・・と感じずにはいられませんでした。
どんな理由であれ、どこの国の人であれ、お寺に来たいと思わせるその力は凄いと思います。

清水寺全景

私のお寺とはカルチャーが全く違うのであてはまりませんが、とても勉強になりました。
お参りに来られた方に笑顔で帰って頂くというのが金剛寺のメインテーマです。

そしてベタベタついでに京都タワーにも上りました。

京都市内

夕暮れ時の穏やかな古都がとても良い雰囲気を出していました。
そんなこんなで帰りの飛行機。

飛行機

プロペラ機です。

上空

しかも真横の席でした。
横でブルンブルン回るそれに、スリルを感じました。

いざ鎌倉。

2015-04-12

バスで高野山口へ向かいケーブルカーに乗車。そして極楽橋から特急に乗り、難波駅に到着。そこから地下鉄で新大阪駅へ向かい新幹線に乗車。品川駅から横須賀線に乗り鎌倉駅到着。さらに江ノ電に乗り換えてやっとの事で次の目的地極楽寺に到着。

極楽寺駅

午後4時に極楽橋を出て極楽寺到着が夜の10時半でした。
極楽から極楽への移動は娑婆の苦しみでした・・・

ここの住職さんとは大学の同級生で、それ以来のお付き合いです。ちなみにここのお寺の境内にはとても大きな百日紅(サルスベリ)の木があり、その子供の木が金剛寺の庭にあります。以前譲り受けてもらったもので厳しい津軽の地ですくすく育っています。
実は毎年この時期、極楽寺ではお釈迦さまの花祭りと秘仏であるお釈迦さまのご開帳を3日間行なっていて、私も6,7年前まで毎年お手伝いしておりました。しかしその後中々機会に恵まれず、今回やっとまた参加する事が出来ました。
私が着いた日は初日でしたがもう夜中で2日目からのお手伝いでした。その2日目は残念ながら朝から冷たい雨がずっと降っていました。
桜も寒そうです。

境内

それでもたくさんの方がお参りに訪れていました。
お手伝いの総代さんや、近くのお寺さんとも久しぶりの再会が出来て本当に嬉しかったです。
最終日はお天気に恵まれました!

極楽寺山門

ここは萱葺きの山門が有名です。最終日も観光やお参りの方がたくさん訪れていました。
そして無事に全てのお勤めが終わり住職と執事さんとで記念撮影。ちなみに後ろの木が百日紅です。

住職と

駆け足でしたが高野山・鎌倉と、たくさんの方に再会出来て懐かしさともっと頑張ろうという前向きな気持ちが湧き、良い刺激になりました!
帰りの飛行機では宝石箱をひっくり返したような東京の夜景に見送られ、無事青森に帰ってきました。

東京上空

とてもとても中身の濃い三日間でした。
しかし!!浸っている時間はありません。
あさって火曜日からまた遠くに行って来ます!

高野山開創1200年。

2015-04-12

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

さて先日、和歌山にある高野山に行ってきました。
お大師さんが開いてから1200年ということで記念の法要があり、それに参加して来ました。
まずは大阪の難波駅から特急こうや号に乗車!特急の本数がそれほど多くないとはいえ、4両編成ですがほぼ満員でした。乗っているお坊さんの多いこと・・・
そして車体のカラーリングも鮮やかな色合いになっていました。以前の昭和な感じはみじんも感じませんが中は昔のままでした。

特急高野号

ガタゴトと揺られること約1時間20分。終着の極楽橋に到着。ここから2両編成のケーブルカーに乗り換えです。4両から2両になるので当然車内はギュウギュウです。山手線のラッシュのような感じで揺られること約5分。

ケーブルカー

そこからさらにバスで10分ほど移動して無事に高野山に到着しました。あいにくのお天気でしたが、しっとりした雰囲気に高野山の奥ゆかしさを感じる事が出来ます。
金剛峰寺もたくさんの参拝の方がおりました。

金剛峰寺

行事自体は写真に収めることが出来なかったので画像がありませんが、650名を超える僧侶が高野山に集い、お勤めをしました。中々出来ない経験です。
しかし浸る事は出来ませんでした。なぜならここから次の場所に移動しなければならなかったのです。
法要が終わり、挨拶が続くなかひとり抜け出し次へと向かいました。高野山の滞在時間4時間弱・・
午後4時過ぎの特急こうや号に乗るため、極楽橋へ。

極楽橋

続く・・・

*あくまでも個人的な意見です。

2015-04-05

いかがお過ごしでしょうか。
最近は洗車をすると決まってその後に雨が降り、意地になってその度に水で洗い流しております。
諸行無常です。
落ち葉掃除をした後、またすぐ落ち葉がひらひらと舞い降りて散乱する光景に似たものを感じます。ある意味修行です・・

そういえば先日、ある人に「テレビでお坊さんの番組やってましたよ」と言われました。いつどこで放送されているのか分かりませんが面白いそうです。
ただ、その番組で修行の話になり「○○宗の修行が一番大変なんですってね」と言われました。
この話をされると私は話が長くなります。
修行は辛さを競うものではなく、またどの修行でも楽なものなどありません。大事なのはその経験を経て何を感じ・学ぶかだと思います。
滝行など普通に入ってましたし。むしろ修行中の人間関係の方がギスギスして辛いと感じました。進めば進むほど気持ちに余裕が無くなるからです。時間・食生活・勤行等、生活環境の激変についていくのに精一杯でした。
不思議だったのはあれだけ待ち望んだ加行(修行)期の終了日に「終わった」という達成感が驚くほど無かった事です。修行には達成感というものは無縁です。ただ、常に目標を持たないと修行という意味が無くなります。これは皆さんの日々の生活となんら変わらないのではないでしょうか。
つまるところ、行や仕事に終わりなど無くずっと続くという事を感じました。

そんな事をもやもやと考えていたら目の前に虹が現れました。

虹

頑張ろう!!!
明日からまた遠くに行ってきます!

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